真田の出丸城跡
(真田丸)

三光神社






幸村像(左)と本殿(右)



真田幸村の陣中指揮姿の銅像 (イラストレータ成瀬浩一デザイン・昭和62年5月建立)
台座には信州上田の真田家の菩提寺である長谷寺より取り出した石(真田石)が置かれています





真田の抜け穴

毎年11月の第一日曜日は「真田祭り」が行われ、普段は鉄格子で閉ざされている
「真田の抜け穴」が年に1度だけ開放されるそうです。


本城(大阪城)へ続いていた(?)抜け穴 (伝承)




由緒略記・抜粋
此の地はもと大坂城の出城(偃月城)の在りし処にして慶長元和の大坂合戦の頃、真田幸村
茲に陣し本城より此処に至るまで地下に暗道を設け今尚其の痕跡を本殿階下に止むるより
世俗に真田山の三光と称するに至れり



大阪夏の陣で兵力で勝る徳川勢に追い詰められ、ついに四天王寺近くの安居神社の境内で、傷つき疲れた身体を
休ませていたところを松平忠直隊鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、「わしの首を手柄にされよ」と最後の言葉を
残して討ち取られた。 享年49   (Wikipediaより)

真田の出丸城跡 ・ 終
Poto / Yasuda804