第一日目 ('93.12.31) | 大阪(八尾)から京都駅(八条口)へ |
最悪のスタート
Nさんの次男坊ただ一人の見送りで八尾市の我家近くを出発したのが午前6時ジャスト。
大晦日の朝は暗く、街はまだ眠っていた・・・
私も相棒のNさんも50キロの道を歩いた経験が無いので足取りもチョッと緊張気味だった。
そこで、緊張をほぐすのなら旧街道をのんびり歩くのが良いだろうと考え、先ずは生駒山麓に
沿う<東高野街道>へと向かった。
だが、由緒あるこの古道が今日の旅のケチのつき始めになろうとは ・・・・・
それは、スタートして20分も経たない内の出来事だった。
「クルマ来たで!!」
前方の闇の中からヘッドライトが接近してきた。
「一列で歩かないと危ないなぁ!」
細い旧道は所々で歩道の途絶える個所があり、いま我々は丁度その危険場所に差掛かる。
クルマはスピードを落すでもなく、我々に気付いている様子もなく真正面から向かって来た。
「あッ、危ない!!」
一瞬の出来事に我々は逃げ場を失った・・・「おぉ、神様!仏様!」
だが、日頃の行いが良かったのか、神さま、仏さまは我々を見捨てなかった。
幸い、直前に気付いたドライバーがとっさにハンドルを切ったので危うく難を逃れたのである。
状況から、故意でないのは確かだ。
多分、こんな朝早くに人が歩いているとは思わなかったのだろう・・・
「こんな道歩いたら命がなんぼ有っても足らんでぇ~」
と思い、広い歩道の有る外環状道路(国道170号線)へと進路を変更する事にした。
早朝から騒音渦巻く”外環”はウオ―キングの情緒に欠けるが立派な歩道が有るので安心だ。
「少し飛ばそう・・・」と広い歩道を足早に歩き始めたところでポツ、ポツと雨が降りだし、東大阪の
新町あたりで本降りとなった。
昨夜の天気予報では<雨は夕方から・・・>と云ってたのに!!
だが、今更、気象庁を恨んだところで仕方ない、とにかく急がねば・・・
傘をさしていたらスピードを出せないので、カッパ姿に身を変えて、わき目もふらず京都を目指した。
午前10時。寝屋川の豊野で右折し府道<枚方交野寝屋川線>に入った頃、雷鳴と共にバケツ
をひっくり返したような豪雨が我々を襲った。
カッパは登山用のゴアテックスを着用していたので防水は完璧だったが、カッパを伝って流れ落
ちる雨に靴の中は水浸しになり、歩く事が困難になってしまった。
「畜生!今日は中止や!もっと天気の良い日に出直そう!」と私は思わず叫びそうになった。
だが、これ位の事で弱音を吐いては”男がすたる”とその言葉を呑み込み、ひとまず民家の軒先
を借りて豪雨の過ぎるのを待つことにした。
幸い、10分ほどで雨は小降りになり、我々は再び京都に向かって歩き始めた。
雨宿りの間に身体が充分休まったので、気力も体力も見違えるほど回復し足どりも軽い・・・
「ガムシャラに頑張るのも結構だが、たまには休息も必要や!」
「腹へったなぁ!早メシにするか」
今朝の5時過ぎに軽い朝食をとっただけだったので腹の虫が泣き出した。
だが、メシ屋を求めて歩く内に、我々は大きなミスを犯した事に気付いた。
府道沿いにメシ屋は沢山有ったが、大晦日の今日は元日を控えてすべての店が大清掃の最中だった。
「何たる事や!”食い倒れ”の大阪でメシ屋に不自由するとは・・・」
こんな事なら弁当を持ってくれば良かった、と思った時は<あとの祭り>・・・
予想もしない現実に愕然としたが、あとは営業中の看板が掛る飯屋を求めて歩くしかなかった。
雨の中、空腹と戦いながら府道を歩く事1時間40分。
やがて、飢餓状態(?)の我々が、国道1号線と合流する出屋敷交差点の2~300m手前で
<ザ・めしや>と大きく書かれた看板を見つけた時の喜びはとても言葉では表現できない。
「有った!有った!メシ屋が有ったぞ・・ファミリーレストランなら年中無休や・・・」
<砂漠でオアシス><地獄でホトケ>とはこの事だ!今までのトボトボとした足どりが急に健脚
になり転がり込むように<オアシス>に飛び込んだ。
そして、先ずは喉越しに冷えたビールを流し込み、そして、熱いウドンを胃袋にかき込んだ。
「あぁ~旨かった!!」
いつもと変ぬビールなのに、いつもと同じウドンなのに・・・
一段落した所で時計を見るとここまで5時間40分、腰の万歩計は3万5880歩になっていた。
距離にして27kmほど歩いた勘定になる。
「さぁ、京都まであと半分!」と<めしや>を出たのが12時30分、雨は少し小降りになった。
3kmほど歩いて1号線の<洞ヶ峠>を越え京都府に入った。
クルマでは数えきれないほど通った峠だが今日は歩いて来たせいか少し感激する。
足早に木津大橋を渡って久御山あたりに差し掛かる頃、風が出てきた。
「大雨のあとは風のお迎えか・・・」
一難去って、また一難・・・ 雨まじりの風はいよいよ台風並みになってきた。
「気をつけろよ!!車道へ吹き飛ばされたらお陀仏だぞ~!」
遮蔽物のない宇治川大橋では前進するより車道に吹き飛ばされないようにするのが精一杯だ!
「こんな嵐の中を俺はいったい何のために歩いているのか?」と、何だか情け無くなってきた。
だが、今は「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ・・・」と、ただ歩き続けるしかなかった。
後日、新聞報道で知った事だがその日の京都は風速20メートル以上の強風だったそうだ・・・
やがて名神高速道路の<京都南インターチェンジ>の高架下に着いた。
我家から42kmの地点だ。
マラソンランナーなら2時間チョイの距離だが我々は8時間以上も掛かった。
高架をくぐり鴨川に架かる鳥羽大橋を渡ると国道1号線はドン尽きの<東寺>まで一直線だ。
だが、この一直線はやたらと長い!疲れたせいか、歩けど歩けど五重塔は見えてこない。
濡れた靴下の中で左足に2ヶ、右足に3ヶできたマメはすでに破裂している。
休憩をしたいが身体を冷やすとマメが猛烈に痛くなってとても歩けなくなるので、一息入れる
ことも出来ず、ただひたすら、夢遊病者のように歩いた。
鳥羽大橋から一直線の道を歩くこと40分、ついに<東寺>の長い土塀が見えた!!
だが喜びも束の間、又々、耐え難い苦痛に見舞われた。
マメのせいで速度が落ち、身体が温まらない上に京都の底冷えが襲ってきたのだ。
あぁ、寒い!寒い!!
更に、マメをかばったせいで足首からふくらはぎ、そして腰まで痛くなり、遂に私は路上にへたり
込んでしまった。
下半身の痛みはどうにもならなかったが、カーデガン、ジャンパーその上にカッパを着込んだの
で寒さからは逃れることができた。
重ね着をして少し暖かくなった私は最後の気力をしぼり出して再び歩き始めた・・・・
<東寺>の五重塔を過ぎ、近鉄線のガードをくぐり九条油小路の信号を左折すると新幹線
の高架が目に飛び込んできた。
先を行くNさんの足取りが速くなった。私も負けじと頑張る・・・
ゴールまであとわずかだ!
油小路八条の信号を右折し新幹線の高架に沿って歩くこと2~300m、やっと京都駅に到着。
時刻は午後5時20分、万歩計は67,966歩を示していた。
「あぁ~、ヤレヤレ・・・やっと終った!!」
ゴールした私の第一声は完歩した感激の言葉ではなく、災難続きのウオ―キングから開放さ
れた喜びの言葉だった。 そして・・・
「今日はもう歩かなくて良いのだ!」と思っただけで何だか疲れが吹っ飛んでいくような気がした。
―― 第1日目 完 ――
Memo今日の行程 | (歩数) 67,966歩 | (距離) 49~50km | 交通費 | (往路) 0円 | (帰路) 近鉄220円 JR880円 |
飲食、その他 | (一括) | 2,000円 |